会うとみんな笑顔に。
「後ろにもほら、ロゴを入れていただいて」
パラマウントベッド本社ビルの1階ロビーに現れた瀬立モニカ選手が、笑顔でこう言いながら車椅子をくるっと半回転。取材に同席した社員たちにTシャツのデザインを見せてくれました。瀬立選手の笑顔につられて、こちらもつい笑顔になってしまいます。
この日の朝、旧中川での練習を取材させてもらった後、本社でインタビューのお時間をいただけることになりました。朝のトレーニングウェアから鮮やかなブルーのTシャツに着替えての再登場です。
練習場所のカヌー庫から徒歩で10分ほど、練習をされていた旧中川はまさに目と鼻の先で、ロビーの窓からも間近に見えています。
「本社の窓から、よく練習をされている瀬立選手の姿が見えますよ」とは広報部の大道さん。
雨の川から本社ロビーに場所を移し、ワールドカップから帰国後間もない瀬立モニカ選手に、大会のことや今後の活動など、いろいろお話をお伺いしました。

左奥に見えている窓の外がまさに、瀬立選手が普段練習をする旧中川。
実は艇が燃えてしまって、代わりの機材で出場したんです。
ワールドカップでのご活躍をお聞きしようと思ったのですが、その前に。今朝お聞きしてびっくりしたのですが、本来競技に使うはずのカヌーではない機材で出場されたとか。
はいそうなんです。国際大会で使う遠征用の艇は基本的にヨーロッパの工場に保管していただいているのですが、その工場が火事に遭ってしまいまして。ニュースとかにもなったわりと大きな火事で、海外の選手とかもけっこう被害にあったみたいで。今年の春のことです。
ということは、ワールドカップ直前に “いつもの機材” ではなくなってしまった、ということでしょうか。 今朝の練習では、モニカさんの体型を型どった特注シートや特殊な設置をしているとお伺いしました。その自分専用の艇が使えなくなったんですね?
ええ。私の障がいのクラス(L1クラス:前回の記事参照)では、胸から下が動かせないのでバランスを取るための踏ん張りが聞かず、特注のバケットシートで体をホールドしているんです。カヌーはものすごく繊細で、数ミリ座る位置が違うだけで体の使い方や感覚も変わってしまうので、本当に大変でした。
今朝の練習でも、1本終わるとシートを外してコーチ(西明美さん)と調整、を何度かされていましたね。
同じシートでも、取り付けの高さが変わると膝の角度や漕ぐ感覚がぜんぜん変わるので。実は少しでも低くするために競技用のカヌーはボトムを特注して低い位置のレールで固定していたのですが、燃えちゃったので。今朝もやっぱり合わなくて、あれこれコーチと工夫をしていました。
少しマニアックな話になるかも知れませんが、具体的にはどういうことを調整されていたんですか?
今朝の艇(燃えた競技用ではない代わりのカヌー)では、シート取り付けの高さはもうどうしようもないので、じゃあどうしようと。重心が高くなるのは仕方ないとして、次に重要なのはなんだろう? みたいなことを考えて。膝の角度は同じにしたい、じゃあフットレストの位置を・・・、とかいろいろ。
西コーチがメジャーで計りながらカヌーの底をいじっていたのはそういうことなんですね。
そうですね。こうなったのは仕方ないとして、いま最大限やれることをやる。
いまやれることをやる。現状のマイナスを嘆いてもしかたない!
はい(笑)。いまやれることをやる!
そういう前向きさが、今回の金メダルを引き寄せたのでしょうか?
どうでしょうか。艇が燃えただけでなく試合直前にパドルが折れたり、そういうのに対処できたのもこの性格のおかげかも知れません。
パラカヌー、2つの種目とその難しさ、面白さ。

※一般社団法人パラカヌー連盟「Paracanoe Guide Book」より)
練習中にもお聞きしたのですが、あらためてパラカヌーの2つの種目の違いについて、モニカさんの感覚も含めてお聞きしたいと思います。カヌーだけの「カヤック(KayaK)」と、サイドに浮きのついた「ヴァー (Va'a)」。もともとはカヤック(K)が主戦場だったんですよね?
そうですね。たまに練習や過去の国内大会などではヴァーをやることはあったのですが。でもまずはカヤックで上を目指したい、ということで、ヴァーをやる理由はありませんでした。カヤックがメインで、ヴァーはそれを補うための練習、みたいな感じでした。
でもこうして支援してくださる方々がいて、せっかく海外遠征をさせてもらえるんだったらカヤックだけだともったいない。行ってカヤックだけ出場して帰ってくる、ではなくて。試合も含めて経験をたくさん積まないと、という思いからヴァーにも出場することにしました。
アウトリガー(浮き)の有無、という機材の違いは分かったのですが、選手の操作や感覚も全然違うものなのでしょうか?
そもそもカヌーは体幹や足の踏ん張り、左右のパドリングでバランスを取るのですが、私たちL1クラス(※)では胸から下が全然使えないので、バランスを取ること自体が相当難しいんです。例えば漕ぐためにどちらかの手を前に出します、そうすると、そのままではそちら側に倒れて転覆しちゃうんです。健常者や障がいの軽いクラスだと、それを足の踏ん張りと腹筋や背筋で倒れないように体を起こすんですが、私たちはそれができないんです。反対側の手や肩甲骨を引いたり頭の位置だけでバランスを取っています。
「ヴァー」だと、艇の横に浮きがあることで、それがバランスをとって船体を安定させてくれるので、そもそもそこが全然違います。ヴァーの方が障がいが重いアスリートにも対応していて、実はL1〜L3のクラス分けも、基準が異なります。
あとは漕ぐためのパドルが違っていて、カヤックは左右にブレード(水かき)がついていて交互に漕ぎながら進んでいきますが、ヴァーのパドルはシングルブレードといって、両手で片っぽの水面だけを漕ぐんです。ブレード自体の形状もカヤックとヴァーでは違います。
※障がいの重さによってL1〜L3のクラスに分かれている。瀬立選手は一番障がいの重いL1クラスでの出場。
「ヴァー」の説明で、アウトリガーがついている側を漕ぐイラストや写真をよく見ます。ヴァーという種目は漕ぐ向き(左右)は決まっているのですか?
いえ、実は決まっていなくて。ほとんどの選手はアウトリガーの側だけをひたすら漕ぐんですけど。
それだと艇が曲がって進みません?
そうなんです。だからそうならないような特殊な漕ぎ方があるんです。漕ぎながら方向を調整する、みたいな。でも私は始めたばっかりなので、両側を漕いでますね。
シングルパドルで右、左、右、左、って?
はい(笑)。国際大会だとあまりいませんね。タイムを短縮させる、という目的だと絶対的に片方だけを集中して漕ぐのがロスが少ないので。でも私はまだそのスキルが足りない・・・だから両側を。

アウトリガー(浮き)がなく、パドルは両側にブレードのついたもので、
左右両側で交互に漕いで推進する。

使うパドルは片方だけに水かきがついた「シングルブレードタイプ」と規定されている。
いざ試合をしてみたら、いいレースになりました。
先日のポズナン(ポーランド)でのワールドカップで金メダルだったのは?
「ヴァー」ですね(笑)
右、左、右、左、って漕いで優勝しちゃった?
はい。今回2位だったイタリアの選手が片側だけで漕ぐタイプで。圧倒的な優勝候補だったんです。ドイツ人のコーチからも「モニカは2位を狙っていけ!」って。それくらい強敵だったんですけど。いざ試合をしてみたらいいレースになりました。
タイムトライアルではなく、同時に競い合うレースですよね?
そうですね。最大9艇が横一列よーいドンで。競泳みたいなイメージです。一斉にゴールを目指します。
ということは、選手同士の駆け引きみたいなものもあるんでしょうか?
そうですけども、ただ自分のレーンの幅が9mあるので、真横で競り合うという感じではなく。パドルの音なんかで「あ、すぐ近くにいるな!」とか、そういう感じです。
距離も200mと短距離のスプリントなので、どちらかというと自分との戦いというか、スタートからゴールまでいかに自分の最大限のパフォーマンスで漕ぎ切るか、そういう要素の方が強い競技ですね。
では今回の結果は、モニカ選手がただただご自身のパフォーマンスを追求した、そしたら1位でした、と。
そういう感覚です。

「カヤック」と「ヴァー」どちらの種目にもエントリーされているので、こんなこと聞くのは失礼なのかも知れませんが。モニカさん的に、やっていて面白いのはどっち、みたいなのはあるんでしょうか?
うわ(笑)。んー、やっていて楽しいのはヴァーですね! まだ初心者なんで。これからどんどん速くなっていくぞっていう、そういう段階はやっぱり純粋に面白いですね。メインはどちらかと聞かれたら、やはりカヤックになるとは思うんですが。いま面白いのはヴァーですね。
そんな初心者なのに金メダルを取ってしまったということは、次のミラノ(8月に開催されるパラカヌー世界選手権)では突然マークされる存在になりますね。
そうですね。なかなかニューフェイスが入ってくることは少なくて、そこまで広い世界ではないので「ああ、あの選手だな」と。気を引き締めて挑みます!
(後編「実は200mの中でも物語があるんですよ」へ続く)
